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2008年07月23日
「撮影」の暴力化について考える
■小寺信良の現象試考:2008年07月22日 10時30分 更新(ITmedia +D Lifestyle)
仕事上、立場が変わります。
まずは撮られる側。お店の中でぱちりと写真を撮られ、それが後日ブログやホームページにアップされる。そこには辛辣な意見が書かれていた-。自身も経験がありますが、活字となってディスプレイで読むと、より悲しい気持ちになるものです。載せた方はお客であり、お金という対価を払っているのだからという意見もありますが、相談を受けて当事者になってみるといろいろと感じることもあります。
そして発信する側。ホームページはほとんどの場合、その会社さまなどのオフィシャルな一次情報ですから、情報の収集や取り扱いには一定の目的やルールがあります。他社のいろいろな権利を侵害していないか。ミスリードにつながるような写真の取り扱いをしていないか。ペンは剣よりも強し-と言われます。ということは、使い方によっては十分に他の方や他社さまを傷つけることになる。文章よりも印象に残る画像ならばなおのことです。自戒をしています。
筆者はネットで情報を発信する場合、それは表現の自由の問題だと書かれています。ではその自由を行使する為の責任は何か?。いろいろと考えながら仕事をしています。
投稿者 shannon : 2008年07月23日 12:11 | カテゴリー:コラム
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